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機微力検定2019.11.20

機微力関連インタビュー記事_第2回:誰も知らない”機微力”のルーツ-前編

皆さま、大変お世話になっております。

ご縁をいただき、ライターの野沢都子さんにインタビュー記事を書いていただけることになりました。”機微力”という言葉は、いつ・どこで・なぜ生まれたのか。その答えには、機微力研究所の理事を務める山本の経歴や想いが大きく関係していました。今回は、とても意外な”機微力”の誕生秘話をご紹介します。

ーーー見えないものを可視化するのが好きです。

”機微力”のすべての始まりは、山本が上智大学・大学院で6年間学んだ「流体力学」だったそうです。文系の筆者は初めて聞く学問だったので、山本に解説していただきました。

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山本:流体力学は、簡単に言うと、日常生活に欠かせない空気や水などを可視化するものです。例えば、空気は目に見えないからそのままでは設計したり活用したりできないんですよ。エアコンを心地良い温度にしたり、車を速く走れるようにしたりできるのも、流体力学があるからです。目に見えない液体や気体を活用して、より良い製品・より良い暮らしに役立たせるのが流体力学ということですね。

流体力学が日常生活に欠かせない学問だということはわかったものの、それが”機微力”にどう繋がるのか…と疑問に思っていたところ、山本がこうつぶやきました。

山本:僕は、昔から流体力学のように見えないものを可視化するのが好きだったんです。実は、”機微力”も流体力学に通じています。”機微力”は目に見えない人の気持ちを可視化して、より良いコミュニケーションに繋げるものなんですよ。

流体力学と”機微力”には、目に見えないものを見える化するという点で、大きな共通点があったのです。

ーーーベンチャー企業の方が向いていましたね。

上智大学大学院修了後の2004年。山本は、大手企業に金融コンサルタントとして就職しました。しかし、それから1年後の2005年に、突如転職を決断します。

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山本:転職理由は、国内で一つしかない流体力学のベンチャー企業から誘われたからです。世界を見据えた勢いのある会社だったこともあり、大学時代に熱中していた流体力学にもう一度チャレンジしてみよう!と思って、転職を決めました。大手企業からの転職だったので、正直に言うと、道を踏み外したかなと思いましたね。でもいざ入ってみたら、大手企業にはない”責任”とそれに伴う”自由”をとても心地よく感じました。自分にはベンチャー企業の方が向いてるんだな、と価値観が変わりましたね。

ーーー起業のきっかけは妻なんです。

山本は、ベンチャー企業に転職して4年が経過した2009年に、「ジャパンスタイルデザイン株式会社(JSD)」を設立します。起業のきっかけは何だったのでしょうか。

山本:会社を立ち上げようと思ったきっかけは、デザイナーとして働く妻から聞いた話でした。会社員としての女性デザイナーの将来性が無いという内容の話だったんですが、僕はその話を聞いたときに「女性デザイナーの活躍する場がない」という今の状態を自分の力で変えるのも面白そうだな、と思ったんです。やはり根本的に、世の中に埋もれて見えていない問題を解決するという考え方が好きだったんですよね。当時通っていたMBAのコースで知り合った方が、君はもう起業した方が良いよと背中を押してくれたことも大きかったですね。

学生時代から現在に至るまで一貫して「見えないものを可視化することが好き」と断言する山本。その一途な想いと起業に対する前向きな気持ちが、このあとも思いがけない展開を生みます。

次回は、ついにデザイン会社「JSD」から”機微力”という言葉が生まれる話をご紹介します。

つづく。